刃牙道感想 第67話「関ヶ原」



武蔵が関ヶ原を語る。
知られざる歴史が語られようとしている。
下手すれば単行本1巻ほど続くぞ。
今思えば最大トーナメント決勝って試合中に回想に1ヶ月使うという凄い試合ですな。


さて、いきなり武士の首が吹っ飛ぶ。
関ヶ原で武蔵が斬ったのだ。
烈も下手すればこうなったのかもしれない。
むしろ、腹で済んで良かった、のか?

関ヶ原の時の武蔵は17歳だ。
まだまだガキであるし、事実面構えが若い。
なのに、人間の首を躊躇なく斬り飛ばしている。
時代によるものではあるが現代の倫理観とはまるで異なる。
烈を問答無用に掻っ捌いたのも戦国の精神性の為せるものか。

だからなのか、若いと言えど魂を入れていない時の武蔵の顔ではなく、今の武蔵の顔になっている。
寒子の言う通り、人を殺すような経験が今の武蔵の顔を作ったのだろう。

武蔵は4人に囲まれている。
そのうちの1人の首は先ほど飛ばしたので、実質的には3人だ。
残った3人の武器は刀が1人に槍が2人だ。
うーむ、ピンチですな。

合戦においてはリーチの長さが絶対的な正義である。
なので、まずは飛び道具の弓が用いられ、白兵戦でも槍が使われる。
刀を使うのは最後の最後となる。
武蔵は追い詰められているのか、あるいは剣客としての力量に自信を持ったから刀で挑んだのか。
武蔵は孤立していることから後者が正解か。 今となれば狡猾な武蔵であるが、かつては若さ故の狂気に任せていた時期があったのだ。

まずは手強い相手を潰すのが狙いか、武蔵は目の前の槍兵に突っ込み槍ごと顔面を斬った。
三寸斬り込めば人は死ぬ。
三寸というレベルではないが、人を殺すのには首を吹っ飛ばす必要はないのだ。

次に真横にいる刀持ちを狙う。
武蔵の斬撃を刀で受け止めるものの刀身がめり込んでいる。
武蔵の強力はこの時点で既に出来上がりつつあるようだ。
受け止められたものの武蔵の攻めは終わらない。
拳で殴って態勢を崩し首を踏みつけてトドメを刺す。
蹴りを小馬鹿にした武蔵ではあるが、必殺できる状況なら使うようだ。
(踏みつけが蹴りなのかは置いておく)

武蔵は瞬く間に3人殺してのけた。
これには残った槍兵は槍という優位を持ちながらも萎縮してしまう。
そうしていると槍兵の顔面に矢が突き刺さる。
遅れて武蔵の背中と肩にも突き刺さった。
肩に関しては貫通さえしている。

振り返るとそこには矢の雨があった。
全世界の戦場において弓矢は絶大なる効力を発揮している。 火器のない時代の戦場の死傷者のほとんどが弓矢と言われている。
関ヶ原の戦いは鉄砲が既に使われるようになったとはいえ、過渡期なこともあり弓矢は主力である。

矢の雨を武蔵は向かい合っていた槍兵を盾にして防ぐ。
武蔵だって矢を食らえばダメージを受ける。
なので、必至である。

その隙を新手の槍兵に狙われる。
太腿を槍で貫かれた。
さっきからけっこうな勢いでダメージを負っている。
武蔵の身体に夥しい傷があったのはそういうことなのだ。
烈の攻撃をけっこう受けたのもそういうことなのだろう。

やられたのが太腿なのが幸いしたのか、武蔵は即反撃に移る。
鎧ごと肩口から心臓まで一気に斬ってのけた。それも片腕である。
合戦において刀による死傷者は1割程度らしい。
その理由としては先述したリーチの短さもあるが、鎧によって致命傷を与えにくいという理由がある。
なので、鎧の継ぎ目を狙うように刀を用いていたとか。

だが、武蔵は鎧ごと斬った。
地味ながらも凄まじい描写だ。
わりと不覚を取っているものの理屈を吹っ飛ばす個としての力がこの時点で武蔵は身に付けている。
武蔵は刺さった矢を抜こうとするが再び襲いかかる矢の雨に中断せざるを得ない。
そんな戦場を前に武蔵は震える。
如何に若いとはいえ実力は既に出来上がりつつある武蔵でさえ恐れるのが関ヶ原という戦場であった。

「負けるか馬鹿…」
「来やがれ……ッッッ」「関ヶ原!!!」


武蔵が向かい合っているのは敵兵というよりも関ヶ原の戦いという戦場そのものだった。 完全に腕試し目的で戦いを臨んだようだ。
ある種、勇次郎に似た思考だ。
最強の二つ名を持つ者同士のシンクロニシティだ。
勇次郎と比べるとダメージは大きいが、機動力を活かしたゲリラ活動に専心していた勇次郎と真っ向勝負を仕掛けた武蔵の差と言えるか。

余談ながら武蔵は東軍で関ヶ原の戦いに参加している。
つまりは徳川家康の陣営だ。
なので、同じ徳川の名を持つみっちゃんをもうちょっと敬ってもいいと思うのですが……
合戦に参加できればいいと徳川の名など完全に無視していたのか。
あるいは徳川とは近い付き合いがあったのだろうか。
そう、地下闘技場の母胎となる闘技場を作った徳川光圀との付き合いとか……

「上下――――――――」「前後――――――――」「左右――――――――」
「一瞬たりとて油断は許されぬ」
「太刀」「槍」「弓矢」「薙刀」
「果ては鉄砲に至るまで」
「何が 誰が 飛び出すやらまるで分からん」


さて、回想を終えた武蔵は関ヶ原はそんな場所だとみっちゃんに語る。
武蔵をして予測不能な戦場のようだ。
バキ世界の戦場と言えばベトナム戦争だが、関ヶ原は白兵戦のウェイトが大きいからこそそれよりも戦局が読みにくいのかもしれない。
そんな場所で戦ったからこそ0.5秒の感覚が磨かれたのだろうか。

烈は多様な技術で武蔵と戦った。
武器術は無論として、特に素手の技術は豊富であった。
中国武術だけでなく範馬刃牙流格闘術まで引き出すというバリエーションの多さである。 関ヶ原と形容するのも妥当である。
なので、素手で戦っていればもっと様々な技術が見られたと思うのだが……

「ふふ……… それはそれで面白くあるのだが……」
「当時の俺にとって関ヶ原とは」「そういう場所だった」


そんな戦場を面白いと述懐する辺り、戦場を遊園地と言う勇次郎に感性が似ている。 ピクルといい最強は共通点が多い。
そんな勇次郎は何をしているのだろうか。
武蔵というだけでご馳走だし、烈を殺すほどとなるとなおさらご馳走なのだが……

「惚れてしまった」
「拳に喰い込む刃を握る」
「手元に伝わりくる」「尋常ならざる握り力……」
「その鍛錬に惚れ」
「その発想の飛躍に惚れ」
「その剛胆さに惚れ」
「同時に」「畏怖おそれた」


武蔵は烈をこう語った。
特に印象に残ったのはやっぱり最後に見せた拳で刀を受け止めたことだった。
無謀とも言える行為だが、あれによって現代の格闘家の意地を見せつけた。
それに惚れながらも、武蔵は恐れたのだった。

現代よりも戦国時代の方が戦いに対するメンタリティはより狂気に傾いていただろう。
それこそ差し違える気で襲いかかる相手などたくさんいただろうし、試合においても生きるか死ぬかのため、気概が別物だろう。
そんな異常を幾度もぶつけられた武蔵が烈を恐れたのだ。
あるいはあの時の烈も生存の可能性を捨てたからこそ、拳で刀を受け止めるという奇跡を起こし武蔵を恐れさせたのかもしれない。

烈への評価に徳川光成は礼を言う。
みっちゃんも烈も救われたようだ。
命を賭けた以上、相手に認められないという結果では悲しい。
命の価値が重い現代人らしい感性だ。

このまましんみりとしたムードが続くのかと思ったらそこはみっちゃん。
武蔵に烈と比べて佐々木小次郎はどうかと問いかける。 ちったぁ自重しろ、このジジイ!
こんなだからこんななんだよ!

そんなわけで出てきた佐々木小次郎という単語だ。
武蔵のライバルと言えば佐々木小次郎である。
もしや佐々木小次郎まで生き返らせるつもりじゃないだろうな、このジジイは。

「……………………………………………………………………………ッッ」

そんなみっちゃんの無茶振りに武蔵は真面目に悩む。
こういうところが律儀な武蔵である。
なのでどうも憎めない。
死闘を繰り広げた者同士を比較させるというのも無礼なので、みっちゃんを怒ってもいいのに……

だが、佐々木小次郎は武蔵以上にその解釈が分かれている。
架空の人物説が持ち上がるほどである。
板垣版佐々木小次郎がどう描かれるのか。
武蔵のアンサーが待たれるところだ。
次回へ続く。


烈はかつて武蔵が恐れた戦場並みの評価だった。
高評価……なのか?
武蔵もけっこうなダメージを受けていたし評価としてはピッタリかもしれない。

だが、17歳の武蔵でも切り抜けられた戦場ということでもある。
事実、武蔵は終始烈を圧倒していた。
特に素手対素手で完勝したのは大きい。
最後の拳白羽取りがなければ本部くらいの評価になってたかも……

なお、烈の生死であるがあらすじに「烈を死に追い込んだ」と書かれている。
……悲しいが確定してしまったようだ。
バキ世界の住民は滅多に死なない。
死んだと思った加藤や独歩も全然元気に生きている。
名有りのキャラで死んだのは朱沢江珠くらいだ。あとは花山の母だ。
どちらも格闘家ではない。
格闘家はむしろ安全なくらいだと思っていた。
柳がグレーゾーンにいるくらいだ。

なので、烈も腹を切られて私もバキ感想を休んだものの平気だと思っていた。
しかし、公式の見解はアウトであった。
まぁ、あそこまでぞんざいな扱いは生きている可能性のある人間にやることではない。

烈は名実共にバキ世界のアイドルだった。
そう、アイドルなのだ。
萌えキャラとしての実績は10年以上前から続いている。
それだけに烈が亡くなったのは惜しい。
けいおん!で例えるとあずさが死ぬようなものだ。

烈はとりあえずという感じで出しても十分な活躍が見込めるキャラだ。
戦っても映えるし解説役としても映えるしドラマもやらせることができるととにかく扱いやすい。
それだけに板垣先生は烈に頼ってしまう面があったのかもしれない。
頼りすぎてボクシングさせるほどだった。

なので、そんな甘えを捨てるためにも烈を殺したのだろうか。
これからは烈に頼らず物語を作らねばならぬ。
こうして白羽の矢は本部に立ったのだ!

本部は解説役として映えるけど、問題は戦いとドラマだな。
戦いに関しては烈相手に善戦しちゃったから期待できるかもしれないが、ドラマに関しては……
烈の死で感情を動かす格闘家たちの姿は簡単に思い浮かぶが、本部の死で感情を動かす格闘家たちの姿はどうも思い浮かばん。
花田と加藤と末堂くらいだ。
何かこいつら、今回の足軽みたいに武蔵に3人ぽろぽろと殺されそうだ……

なお、既に死んだ武蔵がクローンで蘇ったことから、烈をクローンで蘇らせるという予想もある。
あるのだが、それをやると命の価値が軽くなってしまい、烈と武蔵の死合いの価値も下がってしまう。
食われた片足が元に戻らないからこそ、ピクルとの戦いも重かったのだ。
私も休載も軽くなってしまうよ。

こんな展開が続けばちょっと息苦しいのが本音だ。
なので、死んでも問題のない人を戦わせてみては如何か。
そこで本部の顔を思い浮かべるのは止めて差し上げろ!




刃牙道(6) (少年チャンピオン・コミックス)