バトルスタイル考察-立花響編-



シンフォギアのキャラたちは作中においてそれぞれが特徴的な殺陣を見せている。
こうしたバトルスタイルの考察をやっていきたい。
第1回目としては主人公であり作中において心身共に大きな成長と変化を遂げた立花響から見ていきたい。
なお、これはキャラの強さに優劣を付けるためのものではなく、あくまでもバトルスタイルを考察するものだということを前書きする。


・立花響の初期のスタイル
シンフォギアというヒーローになれる力を手に入れた響であるが、戦闘訓練を受けていない素人である。
そのため、第1期の前半ではこうした素人らしさが強調されている。



殴る時に目を閉じているし腰も引けている。
どうみても素人パンチです。本当にありがとうございました。
この頃の響は大変弱そうだ。事実、弱い。
ヒーローの力を手に入れたとしても、然るべき訓練なしではヒーローになれない。
初めてガンダムに乗って大活躍とはいかないのがシンフォギアの世界なのだ。


・響の立ち回りの確立と第1期の戦い方


そんな素人丸出しの響だが弦十郎の映画トレーニングを受けることで戦士として覚醒する。
迎え撃っての掌底や何故か周囲のノイズも吹き飛ぶ鉄山靠など、武術を身に付けており素人らしさがなくなっている。
映画トレーニングの賜物である。
これは響がちょっとおバカなので、弦十郎の教えを真っ向から信じた結果、映画トレーニングの効果もまた十全に発揮された結果だろう。
まぁ、この世界の人物はみんなおバカなので、全員が映画トレーニングの資質があるのだけど。
事実、翼は軽々とこなしていたし、クリスもまた映画トレーニングでその腕を上げている。



以後、響は融合症例ならではのパワーを身に付けた武術によって存分に活かせるようになる。
その最たるものが第1期第6話でクリスに放った絶唱中の破壊力を誇るパンチだろう。
ただ殴るだけなら容易く見切られていたかもしれないが、学んだ技術によって隙を作り命中させている。
また、スピードにおいても特筆すべきものがあり、第1期第9話では高速移動してノイズを一掃してい る。
シンフォギアG第7話でも「2人がかりで受け止めるのがやっと」と言及されており、シンフォギアの 出力においては作中最高と言えよう。
まだ経験不足ではあるがオフェンスに関して言えばこの時点で他の装者に引けを取らない。
それは(迷いがあったとはいえ)翼を圧倒したクリスに致命打を与えられていることからも明らかである。



オフェンスで強みを見せる一方でディフェンスに関してはまだまだ甘く守りに入ると弱い。
絶唱パンチの後は出力が著しく低下したこともあるが、ほぼ無抵抗でやられている。
クリスにカウンターの絶唱級パンチを打ち込めたのも、弦十郎から対策を教えてもらったことに起因するのだろう。
第1期第11話で弦十郎が同様のカウンターを行っていたことから、対クリス用の技をピンポイントで 用意していたと思われる)

また、(力の制御ができなかったとはいえ)こうした状況に持ち込んでしまう時点で立ち回りにも未熟さが垣間見える。
対応力も低いと言わざるを得ず技術の応用力があまりない。
第1期の響は総じて未熟な部分が多い。
それは武術を身に付けた後も変わらないのだ。


・シンフォギアGにおける成長
第1期の響は未熟であった。
それに対してシンフォギアGの響は十分な鍛錬を積んだからか、大きな成長を遂げている。



素早くクリスの援護を行う判断力、ノイズの退路を断ちそこに持ち前のパワーをぶつける作戦など戦闘における立ち回りが特に成長している。
第1期で見せた弱点を克服しており一人前の防人となっている。
3ヶ月の間に相応の鍛錬を積んだことが伺える。
第1期の響はあくまで急ごしらえに過ぎなかったのだ。



こうした響の成長を特に見られるのがネフィリム戦である。
ネフィリムの攻撃をしっかりと受け止め連撃で反撃するシーンは以前の弱点だったディフェンス面を克服していることがわかる。
また、その攻防でネフィリムの防御力を悟ると、素早くハンマーパーツを同時展開して大火力による圧倒を試みると判断力の向上も見られる。
これらを翼とクリスの身動きが封じられるという状況でも一切の動揺を見せずに行っているのも見事である。
防人としてのベストな判断を瞬時に下している。



基礎が出来上がったからか、応用力も上がっており未来戦ではインパクトハイクを用いた空中戦を即興で行っている。
調と切歌の絶唱をS2CAで封じてみせたのも応用力の賜物か。

第1期の弱みを克服し一人前の防人なった一方で調やウェル博士の言葉に動揺したように、
シンフォギアGでは精神面での脆さが弱みとして強調されている。
融合症例であり一人前の防人でもあれど、立花響はあくまでも年頃の少女なのだ。


・響の戦いの才能
作中においてたしかな強さを見せているが、これらは響自身の才能というよりも鍛錬によって培われたものであると言えよう。
第1期で鍛錬を受けるまでは素人同然であったことから明らかである。
この点において響はあくまでも天才ではなく凡人である。
融合症例という大きな要素があるから気付きにくいが努力型主人公なのだ。
この点に関しては金子彰史はWA4のインタビューにおいてその点の考え方を示している。

「ジュードはARMに対して先天的な適合能力と天賦の才を見せるんだけど、実は全然使いこなせていないと設定しています」
「持って生まれてきたものよりも、あとから備わる何かを重要視したかった。その何かに当たるのが個性。個性って、持って生まれてくるモノじゃなくて、あと からつくられていくところが多いじゃないですか」

これはWA4の主人公、ジュードの才能とその活かし方に関する言葉だがそのまま響に当てはまるのではないだろうか。
響は融合症例として稀有な才能を持ち合わせながらも、それ単体では素人であり自慢のパワーも空振るばかりである。
それを後から学んだ武術という個性で使いこなせるようになっている。
シンフォギアGにおける目覚ましい活躍も後天的な鍛錬によるものが大きいと言える。
(融合症例の能力が存分に発揮されたS2CAも繰り返しトレーニングしていると用語集で述べられており、その場のアドリブでできるものではないことがわか る)

精神的に戦いに適していない少女が、己に芽生えた大きな力と向き合い、それを自分の正しいと思う方向へ向けるよう努力する。
これは努力しなければ力をそう扱うことはできないとも言える。
シンフォギアの作中で見せた響の戦いからはそうした意図が伝わってくる。
また、力そのものに善悪はなく、それを扱う人間次第というWAシリーズで繰り返し表現されてきたテーマが響には込められている。
こうした点で響は実に金子彰史作品の主人公たる存在なのだ。


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